嫁に「今年でクビやで」 呼ばれぬ1軍…覚悟した“終わり”、元虎捕手にまさかの僥倖

現役時代の元阪神・狩野恵輔氏【写真提供:産経新聞社】
現役時代の元阪神・狩野恵輔氏【写真提供:産経新聞社】

元阪神・狩野恵輔氏、支配下復帰2年目は8月に1軍初昇格

 ギリギリのところから蘇った。阪神に捕手で入団し、外野手としてもプレーした狩野恵輔氏(野球評論家)はプロ14年目の2014年に引退を覚悟したという。「嫁にも『たぶん、今年でクビやで』と言っていました」。腰痛のため2012年オフに育成契約になったが、不屈の闘志で2013年7月に支配下復帰を果たした。しかし、1軍では結果を残せず、2014年は開幕から2軍生活が続き、腹をくくっていた。それが……。ドラマのような“逆転劇”が起きた。

 狩野氏は2013年7月23日に支配下登録された。腰痛→復帰→再発を繰り返していたことから2012年オフに育成契約になったが、懸命に調整してのカムバックだった。背番号も「120」から、元の「99」に戻った。8月29日には1軍に昇格した。9月4日のDeNA戦(横浜)では代打で中前打、そのまま中堅の守備に就き、次の打席でも左前打を放つなど4打数2安打と気を吐いた。だが、それ以降は結果を残せなかった。

 9月7日の巨人戦(甲子園)に「7番・右翼」でスタメン起用されたものの、巨人先発・杉内俊哉投手の前に3打数無安打。結局、6試合、10打数2安打の成績で9月11日に2軍落ちとなった。「その年はそれで終わりでしたね」。レギュラーシーズン2位の阪神は同3位の広島とのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージに0勝2敗で敗退(10月12、13日、甲子園)したが、狩野氏が出場することはなかった。

 厳しい状況は翌2014年も続いた。スタートから2軍生活で、なかなか1軍から呼ばれなかった。「前の年は育成から戻してもらったので(契約が)1年延びたけど、成績も残していないし、もう終わりだなと思いました。右のいいバッターもいましたしね。(新井)良太もそうだし、新井(貴浩)さんも、もちろんいるし、僕が出るところはないなぁ、実力的にも無理やなぁ、みたいな。嫁にも『たぶん今年でクビやで』って言っていました」。

 腹もくくっていた。「8月に長男が1人で(実家がある)群馬に行っていて、おとんとおかんが長男を送ってこっちに来た。ちょうど(翌8月29日に)鳴尾浜で(中日2軍との)試合がある時だったので『もう最後だから、明日は見ていってよ』って。そんな話をしていたんです」。辞めることを前提で動いていたわけだが、そのタイミングで球団関係者から連絡があったという。「電話がかかってきて『お前、明日から1軍や。たぶんスタメンだから準備しとけよ』って」。

 もっとも、その時点でも狩野氏は両親に見せる舞台が鳴尾浜から甲子園に変わったくらいの気持ちだったそうだ。「おとんとおかんにも『最後だし、甲子園だし、見に来てや』って言いましたしね」。“予告”された通り、8月29日に、シーズン初の1軍昇格となり、その日のヤクルト戦(甲子園)に「7番・右翼」でスタメン出場となった。「嫁さんは結局、家に残ったんですけど、ウチのおとんとおかんと子どもたちは甲子園球場に見に来ていました」。

 両親に見せるのは、これが最後との思いで甲子園のグラウンドに立った。「そしたら、3安打4打点だったんですよね」。ヤクルト先発の左腕・赤川克紀投手から2回の1打席目に右前打を放つと、3回の2打席目は左翼席へ1号2ラン。4回の3打席目はヤクルト2番手右腕の阿部健太投手から左翼線へ2点適時打と大爆発だ。試合は9回無死降雨コールドで阪神が10-5で大勝だった。これでまた流れが変わった。

フェニックス・リーグ参加中に日本シリーズ緊急招集

 この年の狩野氏はそこから12試合に出場、そのうち6試合がスタメンで起用され、24打数7安打の打率.292。「あれ、結構成績を残したなって感じになりました」。9月22日に2軍落ち。レギュラーシーズン2位の阪神が1勝1分けで突破した3位・広島とのCSファーストステージ(10月11、12日、甲子園)、4連勝で1位・巨人を破ったCSファイナルステージ(同15~18日、東京ドーム)には出場できなかったが、気持ちは前向きになっていた。

 10月はみやざきフェニックス・リーグに参加して、翌シーズンに向けて汗を流した。そして、さらに狩野氏の状況が変化した。阪神がソフトバンクと戦う日本シリーズ開幕日(10月25日、甲子園)のことだ。「(試合前の練習中に)新井(貴浩)さんが腰を痛めて、『宮崎から帰ってこい』と言われたんです。『明日からですか』と聞いたら『今から移動して、着いたらベンチに入れ』って」。試合開始に間に合うはずもない急きょの指令だった。

「日本シリーズってベンチ入りメンバーが試合前に呼ばれて並びますけど、僕はその試合、並んでいません。姉から『あんた1軍にいるの?』って電話が来て『今はいないよ』と答えたら『どういうこと、登録になっているけど』って言うから『今、向かっているところやねん』と言ってね……。宮崎空港から伊丹空港、そのまま(甲子園)球場に向かいました。7回くらいだったかな。試合中に『今、着きました』ってベンチ入りしました」

 阪神が6-2で勝った第1戦は出番がなかったが、第2戦(10月26日、甲子園)は0-2の6回2死で代打で起用された。そこまで阪神打線が、ソフトバンク先発・武田翔太投手の前にパーフェクトに抑えられていた中、チーム初安打となる左前打を放った。日本シリーズ初打席初安打だ。「その後、(西岡)剛が(右翼線に)タイムリー(二塁打)を打って(自身が生還して)1点。試合は(1-2で)負けましたけどね」。

 阪神は第2戦から4連敗してシリーズ敗退。狩野氏は第2戦以外では第3戦(10月28日、ヤフオクドーム)の代打(三飛)での出場だけに終わったが、ドタバタ合流も含めて、それも思い出の一コマだ。「日本シリーズが終わって日米野球(11月11日、甲子園)にも呼ばれたんですよ。巨人と阪神の連合軍だけど(阪神は)レギュラークラスがいかないからってね。ラッキーと思いました」。結果は代打から右翼を守って3打数1安打1打点だった。

「その辺からですよ。急にまた野球人生が変わっていったというか、代打の道というか、バッティングでどうにか生きていけるかなとなったのは……」。ほんの数か月前は引退を覚悟していたのが、気がつけば新たな展開に持ち込んでいた。まさに崖っ縁からの巻き返し。今度は代打の切り札としてチームに貢献することになる。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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