巨人に許した逆転V「悪いシーズン」 首位快走も失速…恩師も退任、元阪神捕手の虚空の1年

元阪神・狩野恵輔氏、8年目春季キャンプは気合の丸刈り
いい流れが続かなかった。元阪神捕手で野球評論家の狩野恵輔氏はプロ7年目の2007年、開幕からシーズン終盤まで1軍でプレーし、54試合、95打数26安打の打率.274、3本塁打、11打点の成績を残した。下積み期間を経て、ついに結果を出し始めた。もちろん、これで満足するわけにはいかない。さらなる飛躍を目指し、2008年の春季キャンプは、その決意を示すべく丸刈り姿で臨んだが、次に待っていたのは右肘痛との闘いだった。
プロ7年目の狩野氏は開幕1軍を果たし、4月20日の巨人戦(甲子園)では延長12回に代打で登場して、プロ初安打となるサヨナラ打を放った。祝福の嵐に喜びを爆発させた後、岡田彰布監督に言われたのは「明日(21日)はスタメンだから、今日は早く寝ろ」。その予告通り4月21日の巨人戦には「7番・捕手」で起用された。バットは絶好調。2回の1打席目に左前打を放ち、4回の2打席目はバックスクリーン左へのプロ1号アーチをぶちかました。
「(巨人先発右腕の)久保(裕也)さんから。真っすぐです。1、2、3で打ちました」。6回の3打席目は右前打。試合は2-5で敗れたものの、4打数3安打と気を吐いた。3-10で敗れた4月22日の巨人戦では、試合終盤に矢野輝弘捕手に代わって守備に就き、9回裏のその日2打席目に2試合連続の2号2ランを巨人・門倉健投手から左翼席に突き刺した。「あの巨人戦は全部、思ったように球が来たって感じ。(読みが)当たるんですよ。ゾーンですね」。
だが、正捕手・矢野の存在は大きかった。狩野氏の出番は決して多くなかった。5月4日の広島戦(甲子園)では初の代打アーチを広島左腕・広池浩司投手からマークしたが、本塁打はその3本で終わった。「打つ方は調子がいいと思いましたけど、守備の方はちょっとっていうのは正直ありました。やっぱりリードとか難しいなと思っていました」。シーズンも残り6試合となった9月27日には登録を抹消された。
「右肘を痛めたんです。でも、その時は何とかなって、オフに入りました。(プロ)8年目(2008年)に向けて、ウエート(トレ)もムチャクチャやったし、自分の中では気持ちも上がっているし、全然悪い感じはなかったんですよ」。春季キャンプには気合の丸刈りで臨んだ。2007年の結果くらいで調子に乗っていると思われたくなかったからだという。「岡田監督はチャラチャラしているヤツが嫌いって知っていましたしね」。

右肘クリーニング手術…開幕アウト、夏場に“強行”昇格
しかし、キャンプ、オープン戦と今度は状態が下がっていった。「また肘の調子がよくなくて、投げるのも打つのも悪いし、1軍も無理だなって思うような感じ。何か空回りだったんですよねぇ……」。その上に厳しい状況に見舞われた。「確か3月の教育リーグだったと思います。2軍の試合前に肘が完全にロックしちゃったんです」。もうどうすることもできなかった。病院で検査した。「原因はネズミ(遊離軟骨)でした。それでクリーニング手術を受けることになりました」。
開幕は完全にアウトとなった。「すごいショックでした。僕、それまでほとんど怪我がなかったんですよ。手術も初めてだったし……」。出遅れを取り戻そうと躍起になった。「5月くらいには(2軍で)復帰したと思います」。7月21日にシーズン初の1軍昇格となった。「肘に関して『いける』と言いつつ、本当はまだ痛かったんですけどね。手術後で、ちゃんと治ってはいなかったんです」。それでも、この時期にはどうしても1軍に上がりたかったという。
2008年は北京五輪イヤー。阪神からは藤川球児投手、新井貴浩内野手とともに、正捕手の矢野も星野仙一監督率いる野球日本代表に選出されていた。「オリンピック期間中に出なくちゃいけないという思いで、メチャクチャ焦ってやったんですよ」。結果はよくなかった。「矢野さんが(五輪に)行っている間に何試合か出たんですけど、うまくいかなかった。全然アカンかったです」と狩野氏は唇を噛んだ。
12試合、9打数2安打の打率.222、0本塁打、1打点。9月11日に登録を抹消されて、狩野氏はプロ8年目を終えた。2007年につかみかけたものが、また振り出しに戻った。「悪いシーズンだったなぁと思います」。阪神はその年、途中まで首位を快走しながら、巨人に逆転Vを許し、クライマックスシリーズも第1ステージで敗退。お世話になった岡田監督は退任した。何もかもが悔しくて、むなしい1年だった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)